懐かしの南海ホークスで思い出すのは俊足巧打の名脇役として活躍した「湯上谷宏」である。
何回も改名していて、現在は「湯上谷竑志」になっているそうであるが。
ニックネームは「ガメ」。
高校時代の守備位置は遊撃手だったが、二塁や三塁も守れるなどユーティリティープレイヤーでもあった。
プロ入りしてからは二塁手で起用される事が多かったようだ。
プロ野球ではこういったつなぎ役の選手も重要で 2番打者として 結構印象に残る選手であった。
打率は3割を打てるほどの好打者ではなかったが、足が速く盗塁もできる選手だった。
足が速いため守備範囲が広く、それも守備の上手さに繋がっていたようである。
派手な活躍をする選手ではなかったが、こういった縁の下の力持ちのような選手がいることはチームにとって重要である。
高校時代は星稜高校で4回も甲子園に出場するなど、あの時代の星稜高校も強かったようだ。
2年生からすでに遊撃手としてレギュラーを取り、やはり素材は一級品だったようである。
あまり覚えていなかったがプロ入り時の背番号は「14」と野手としては変わった数字だった。
ただ1年目から一軍の試合に出場するなど将来が嘱望され、すぐに背番号は一桁の「7」になり、その後「6」に変わった。
一年目から一軍に出場できるなど高校卒業の選手としてはやはり早いデビューで、それだけ実力があったということだろう。
”いぶし銀”といった感じでバントなどの小技もできて、つなぎ役の2番として欠かせない 南海・ダイエーの選手だった。
名前がちょっと変わっている「湯上谷」というのも印象に残りやすかったのかもしれない。
この選手も意外と全盛期が短く、レギュラーとして規定打席に到達したのも4年間ぐらいで その後は控えにまわっていた事が多かった。
通算では1242試合出場で、打率.258で通算安打数は855本、42本塁打269打点であった。
南海時代のレギュラーのイメージが強く、晩年の南海ホークスを支えた名脇役としての印象が懐かしい選手である。