世の中のいろんなこと...

世の中の気になる話題をとことん斬ります!?

西武ライオンズの勿体なかった外国人選手

1980年代後半の西武ライオンズの黄金時代にいた外国人で、「バークレオ」という選手がいたことを覚えているだろうか。

正式な名前は「タイラー・リー・バンバークレオ 」という名前だったそうで、登録名は「バークレオ」だった。

 

”レオ”という文字が入っているなんて、いかにもライオンズっぽい名前(笑)たまたま偶然なんだろけど。

この選手も打率は低いが長打力がすごくて、確実性は低いもののホームランの多い選手だった。

来日1年目の1988年には、打率.268ながら38本塁打90打点をマークしている。

外国人選手としては及第点どころか大活躍の成績である。

 

記憶に残る助っ人01】真面目に練習に取り組み花開いたバークレオ/伊原春樹コラム | 野球コラム - 週刊ベースボールONLINE


あの時代は秋山、清原がいて、デストラーデが来る前までの5番打者として頼れる存在だった。

しかし翌年にはオレステス・デストラーデが加入し、バークレオは2軍に落とされ第三の外国人選手扱いになってしまった。

もともと2年目のジンクスで低打率に喘ぎ、それでデストラーデを急遽獲得したという経緯があったようだが、当時は緻密な野球の森監督だったのでこういう安定感の低いバッターは使いにくかったのだろう。

 

 

デストラーデが大活躍したためほとんど二軍で生活するようになり、一軍の外国人選手が怪我した時だけ上げて使ってもらえるという立場になってしまっていたようだ。

当時は外国人選手は一軍に二人までと決められていたからだ。

ブライアントもそうであったが、こういう扱いを受けている勿体ない外国人選手は結構いたようである。

球団としては、一軍の外国人選手が怪我した時の保険として置いておきたかったという面もあるだろう。

1991年には広島カープが勿体ないと思ったのか、西武ライオンズが活躍の場を与えたのかわからないが、広島カープに移籍している。

しかし、広島カープでも安定感がなく、わずか29試合出場で打率.203で2本塁打5打点に終わっている。

 

80年代では異例の西武黄金時代“育てる助っ人”バークレオとは?/平成助っ人賛歌【プロ野球死亡遊戯】 | 野球コラム - 週刊ベースボールONLINE


やはり西武ライオンズでの1年目は良かったが、大振りの荒い バッターだったようで日本野球には合わず、たまにホームランを打つだけのよくある外国人選手のタイプだったようである。

ただ、やはりホームランを打った時の印象が強くてあの長打力が印象に残る選手ではあった。

 

 

広島カープを退団した後 アナハイム・エンジェルスに入団しメジャーデビューを果たしたが、ホームランは1本のみでやはりメジャーでも通用はしなかった。

唯一打ったホームランが、後に巨人に入団するビル・ガリクソンだったというのも何かの縁を感じずにはいられない。

やはり名前が印象的で、長打力が魅力的だったバークレオという選手は非常に思い出に残る選手だったのである。

 

 

www.youtube.com

 

www.youtube.com

 

www.youtube.com

 

 

www.youtube.com

 

www.youtube.com