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伝説のオーディション番組だった!? 「スター誕生!」

■「スター誕生!」とは?

『スター誕生!』(スターたんじょう!)は、1971年10月3日 - 1983年9月25日の12年間に亘って放送された、日本テレビの視聴者参加型歌手オーディション番組。619回放送。略称は『スタ誕』(スタたん)。
出典 スター誕生! - Wikipedia

 

スター誕生!(1971年〜) | 昭和view


実は、あんまり記憶にないんだけど、、、(笑)

この番組から、後の大物になる歌手が多く輩出されたという伝説は知っていました。

 

 

番組の企画者は審査員の一人でもある阿久悠で、番組名の名付け親はチーフプロデューサーの池田文雄である。明日のスターを夢見る人のための正統派のオーディション番組であり、毎週、厳しい予選を勝ち抜いてきた5-7人程度の挑戦者が歌合戦形式で実力を競う。
出典 スター誕生! - Wikipedia

 

画像・写真 | 百恵、ピンク・レディーらを輩出 伝説の番組『スター誕生』初DVD化 1枚目 | ORICON NEWS


阿久悠が企画した番組だったんですね。

厳しい予選もあって、本選出場までは遠い道のりだったみたい?

 

初回の視聴率は4.7%。1978年5月7日放送分では番組史上最高の28.1%をマークした。
出典 スター誕生! - Wikipedia

 

スター誕生:伝説のオーディション番組がDVDに 山口百恵、ピンク・レディーら輩出 - MANTANWEB(まんたんウェブ)


最初の頃は、視聴率も低かったようですが、内容が認知されるにつれどんどん高視聴率に!

最高視聴率は28.1%だった。

この番組でデビューしたタレントの活躍は、芸能界地図を塗り替えるきっかけとなった。テレビの草創期から1970年代まで「ナベプロ王国」と称される黄金時代を築いた芸能事務所・渡辺プロダクションがその絶対的な地位を失ったのは、ホリプロサンミュージック田辺エージェンシーが力をつけたためであり、それら新興プロダクションへのタレント供給源となったのがこの番組だった。
出典 スター誕生! - Wikipedia

 

スター誕生〰️‼ | としダンダンのブログ


芸能界の勢力図が塗り替えられるほどの影響力があったという。

 

萩本欽一がスター誕生を辞めた時・・・

 

シングルジャケットコーナーからのリンク→スター誕生

 

中森明菜を生んだ『スター誕生』 1秒も待たずに審査終了も ...

 

本田美奈子. スター誕生 - YouTube

 

「スター誕生」出身の主な歌手を教えて下さい(「お笑い ...

 

在日帰化人の中から、「スター誕生」: 佐伯まおのブログ

 

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昭和の歌姫「山口百恵」の誕生

 

70年・80年代の懐かしいテレビ番組:テレビ史上初の公開 ...

 

 

■歴代司会者

<初代>

萩本欽一 :1971年10月3日-1980年4月6日[第443回]
当時コント55号で人気絶頂期だった萩本にとって、初めてのソロ活動、かつ司会初挑戦だった。萩本は司会に起用されると「(一人で)司会なんてしたことないの」と語っている。萩本を起用した理由は「人柄の良さ」「アットホームさ」だという。その期待通り、萩本の出場者に対する親身な接し方、不合格者も暖かく見守る姿勢が審査員たちの辛口批評とのバランスをとる役割を果たし、司会が番組の人気を支える大きな要因となった。

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<2代目>

谷隼人タモリ :1980年4月13日-1981年4月5日
谷は出演当時「岩谷隆広」名義だった。タモリは兄弟番組である『お笑いスター誕生!!』にも審査員として出演していた。なお2人が『スタ誕』の司会であった事実を知る人は少なく、後年の同窓会(後述)で、タモリは「ほとんどつなぎの様なものでしたねぇ」と語っている。

Kinsho@疫病退散祈願❗️頑張れニッポン❗️負けるなニッポン🗾 on Twitter: "#昭和55年のツイート 4月から「スター誕生 !」の司会が、欽ちゃんからタモリさんと岩谷隆広さん(谷隼人改め)に変わったんだけども、欽ちゃんの時と比べたら何か面白味が薄くなった感じがする ...

 

<3代目>

坂本九石野真子 :1981年4月12日-1982年1月3日
石野は『スタ誕』デビュー組の歌手。結婚による芸能界一時引退のために、1981年9月6日放送分で降板した。

しがない三四郎 on Twitter: "【ちょっと一興😉】 モノクロ▶️カラー 『スター誕生!』〔NTV〕より #坂本九 #石野真子  @retoro_mode https://t.co/F7N5PEoY7V" / Twitter

 

<4代目>

横山やすし・西川きよし :1982年1月10日-1983年9月25日
当初はきよしが若松愛子と共に担当し、後に単独で務めた。やすしは1982年10月24日放送分から登場。

1982年スター誕生のジュリー つづき? - きんぴらにっき

 

■主な合格者

森昌子
デビュー曲「せんせい」。第1回決戦大会最優秀賞。そして記念すべき番組からのデビュー第1号。

森昌子、家族に仲間に支えられた47年 心強い味方だった「花の中三トリオ」(1/2ページ) - サンスポ

 

桜田淳子
デビュー曲「天使も夢みる」。地方予選会の映像が残っている、決戦大会で番組史上最高の25社からスカウトを受けた。

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山口百恵
デビュー曲「としごろ」

昭和の歌姫「山口百恵」の誕生

 

城みちる
デビュー曲「イルカにのった少年」

イルカに乗った少年 城みちる』アイドル引退と恋愛、広島の実家や娘の画像 - Middle Edge(ミドルエッジ)

 

伊藤咲子
デビュー曲「ひまわり娘」

伊藤咲子の『スタ誕』ストーリーは超ドラマチック | ニュース概要 | 週刊女性PRIME

 

片平なぎさ
デビュー曲「純愛」

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岩崎宏美
デビュー曲「二重唱(デュエット)」

岩崎宏美 スター誕生 - YouTube

 

新沼謙治
デビュー曲「おもいで岬」

演歌歌手】新沼謙治70年代のデビューから現在のエピソードと妻のおもいで - Middle Edge(ミドルエッジ)

 

清水由貴子
デビュー曲「お元気ですか」

清水由貴子の生い立ちや自殺の真相 - Middle Edge(ミドルエッジ)

 

ピンクレディー
デビュー曲「ペッパー警部

ピンク・レディー / スター誕生! 第16回決戦大会(1976.3.14 OA)「部屋を出て下さい」 - YouTube

 

渋谷哲平
デビュー曲「朝日に向って」

渋谷哲平S - YouTube

 

石野真子
デビュー曲「狼なんか怖くない」。審査発表で会場の一般審査員の得点だけで合格点に達した(最終得点は530点)、デビューから3年後の1981年には同番組の司会を坂本九と共に務めた。

デビュー前の真子ちゃん 石野真子 (1977) - 動画 Dailymotion

 

柏原芳恵
デビュー曲「No.1」

淳子・宏美・芳恵…「スター誕生!」の瞬間 | 想い出づくり。

 

小泉今日子
デビュー曲「私の16才」。2013年NHK朝ドラ『あまちゃん』での役柄(アイドルになれなかった母)ではフジテレビの『君こそスターだ!』に似せた番組に出場したことになっている。

画像・写真 | 百恵、ピンク・レディーらを輩出 伝説の番組『スター誕生』初DVD化 7枚目 | ORICON NEWS

 

中森明菜
デビュー曲「スローモーション」。テレビ予選3回目の挑戦で合格。

中森明菜 と スター誕生! - エルペディア【Wikipedia】

 

松本明子
デビュー曲「♂×♀×Kiss(オス・メス・キス)」

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岡田有希子(佐藤佳代)
デビュー曲「ファースト・デイト」

スター誕生! 最終回 岡田有希子、高橋美枝 1983年9月25日 - YouTube

 

 


石野真子 天使の落書き

 

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