ジャーニーマンという言葉をご存じだろうか?
メジャーリーグは移籍が盛んで、色んなチームを渡り歩く選手の事をこう呼ぶ。
野手で実に13球団も渡り歩いた選手がいる。
「マット・ステアーズ」という選手である。
ジャーニーマンとして有名なこの選手、実は中日ドラゴンズでプレーした事があるのだ!
1993年のシーズン途中の6月に「モントリオール・エクスポズ(当時)」から中日に加入して、主軸としてプレーしたのである。
中日に加入する前のエクスポズでも特に活躍していた訳ではなく、メジャーの通算成績は打率.211で本塁打0打点7であった。
中日に入団したのが25歳頃ということになるので、メジャーでもこれからが期待される時期の選手だったのかもしれない。
中日でも結局、打率.250 6本塁打 23打点と途中加入という事を差し引いても物足りない成績に終わり、中日ドラゴンズを解雇されている。
この時点では、その後の活躍を誰も想像できなかっただろう!
その後、エクスポズに復帰したが、翌年にはボストン・レッドソックスにトレードされて、1年間はマイナー生活を送っている。
翌1994年にはレッドソックスでメジャー昇格し、初本塁打を記録するが、結局、自由契約にされてしまう。
ここら辺から、既にジャーニーマンとしての潮流のようなものが感じられ、リリース→契約→リリース→契約というような流れが続いていった感じだ。
オークランド・アスレチックス時代は複数年契約だったかは定かではないが、1996~2000年まで5年間在籍し、1999年にはキャリアハイの38本塁打をマークしている。
結局、アスレチックスも2000年を最後に自由契約となり、その後は本当に1年ごとにチームが変わるというようなメジャー生活を送ることになる。
基本的に打率は低いが、そこそこ長打力を期待できて、使い勝手のいい選手だったという面があったのだろうと思う。
それ程、大崩れするようなタイプでもなく、長打力不足のチームには欠けているピースとしてハマりやすかったのではないだろうか。
そのため、毎年のようにどこかのチームに請われるという形でどんどん球団を変わっていったようだ。
結局、2011年のワシントン・ナショナルズが最後のメジャー球団という事になったが、最後の頃は「まだ、やってたんだ!?」みたいな、半ば呆れるような息の長い選手になったのである。
1968年生まれなので、2011年は43歳ということになる!
体も丈夫だったということだろうか。パワーの衰えも少なかったので、メジャーでも最後の頃まで戦力として計算されて契約できたのだろう。
中日でプレーしていた頃は、まさかこんな数奇な未来が待っているとは、まったく想像も出来なかったのである。
ちなみに所属したメジャー球団を列挙すると、、、
・モントリオール・エクスポズ
・ボストン・レッドソックス
・オークランド・アスレチックス
・シカゴ・カブス
・ミルウォーキー・ブリュワーズ
・ピッツバーグ・パイレーツ
・カンザスシティ・ロイヤルズ
・テキサス・レンジャース
・デトロイト・タイガーズ
・トロント・ブルージェイズ
・フィラデルフィア・フィリーズ
・サンディエゴ・パドレス
・ワシントン・ナショナルズ
の、計13球団もの多くのチームで活躍。
