【歌のトップテン】
『歌のトップテン』(うたのトップテン)は、日本テレビ系列局ほかで生放送された日本テレビ製作の音楽番組。製作局の日本テレビでは1986年4月7日から1990年3月26日まで放送。ランキング歌謡番組『トップテンシリーズ』の第3弾となるこの番組は、前番組『ザ・トップテン』に比べて多少リニューアルされている。
4年間における放送回数は約180回。
出典 歌のトップテン - Wikipedia
「ザ・トップテン」という番組からリニューアルした歌番組だった。
TBSの「ザ・ベストテン」と同じようなランキング形式の歌番組でしたね。
■司会者
初代
1986年4月7日 - 1987年3月30日。徳光和夫、石野真子。リポーター:堀敏彦(現テレビ新潟アナウンサー)。
2代目
1987年4月6日 - 1990年3月26日。和田アキ子、島田紳助。リポーター:堀敏彦、吉村明宏。
■様々なエピソード
1986年9月1日、司会者である石野の最初の夫であった長渕剛が登場し(ちなみにランクインではなく注目曲コーナーで、曲名は「SUPER STAR」)、前妻の石野に対して一言「元気?」と声を掛け、石野はそれに「元気…」と頷きながら答えていた。
出典 歌のトップテン - Wikipedia
なんか、このシーンどこかで見た事があるような気が、、、?
リアルタイムで見てたのかなあ??
微妙な空気が流れてましたね。
当時、ロッテオリオンズから中日ドラゴンズに移籍したばかりの落合博満が信子夫人を伴って出演し、「そんなふたりのラブソング」を注目曲コーナーで歌ったことがある(1987年1月5日放送)。なお、落合夫妻は、五木ひろしの1987年間トップテン1位の祝福にも来たが、その時に五木が交わした「レコード大賞を獲る」という約束は果たされなかった(この年の大賞は近藤真彦の「愚か者」)。
出典 歌のトップテン - Wikipedia
『ザ・ベストテン』では、ある時期を境に一切出演をしなかったおニャン子クラブだが、この番組に関しては、スケジュールの都合がつかない場合を除いて出演している。
出典 歌のトップテン - Wikipedia
ザ・ベストテンに対して「秋元康」がなんか気に入らない事があったとか?
そういう事を平気でやる人物なので、、、
”小っちぇ~”人間ですからね(苦笑)
小泉今日子の「学園天国」が1位になったとき、小泉は欠席だったためオリジナル歌手のフィンガー5が出演して歌った。
出典 歌のトップテン - Wikipedia
「学園天国」はもともとフィンガー5の曲でしたからね。
粋な演出といったところかな?
1988年3月28日、渋谷公会堂での生中継中に統合失調症の男が乱入、『AL-MAUJ』の歌唱中だった中森明菜にノートを投げつけて警備員に取り押さえられるという騒動があった。この模様は一瞬ではあったがテレビでも放送され、会場は騒然とした。中森やステージにいたミュージシャン達に危害は無かったが、これを機に日テレGスタジオからの非公開生放送の割合が増え、「さよなら渋谷公会堂」として『NTV紅白歌のベストテン』『ザ・トップテン』のセットを再現した企画を実施した後、非公開に完全移行した。
出典 歌のトップテン - Wikipedia
昔は、結構こういう危ない奴が乱入なんていう事件がありましたね。
大事に到らなくて良かったですが、、、
1989年9月に『ザ・ベストテン』が放送終了した際、この番組にも「やめないで」という声が相次いだことを受けて、司会の和田と紳助がそのことに触れ、「この番組は続けて参ります」と宣言した。しかし、結局その半年後に終了することとなった(紳助本人も同局の『EXテレビ』にて低視聴率のことを証言している)。こうして、この番組を最後に『NTV紅白歌のベストテン』以来実に20年半続いた一連のトップテンシリーズは幕を下ろした。
出典 歌のトップテン - Wikipedia
最後の頃は視聴率も低かったみたいですね。
「ザ・ベストテン」も終了し、そういう時代の流れに抗えなかったという事ですかね、、、
それにしても、和田アキ子と島田紳助が司会してた印象があまり残っていないのは何故なのだろう?(笑)
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