今、思い返してみると得体の知れないグループ(笑)だった初期の「東京パフォーマンスドール」
でもメンバーの篠原涼子や市井由理、穴井夕子など、そういえばいたなあ、、、って感じになるから不思議。
最近また新しいグループとして2013年から活動しているようですね。
【東京パフォーマンスドールとは?】
東京パフォーマンスドール(とうきょうパフォーマンスドール)は、日本のガールズグループ、女性アイドルグループ。略称は、TPD
出典 東京パフォーマンスドール - Wikipedia
【ゴルビーズ(木原さとみ・篠原涼子・川村知砂)が起源?】
1990年(平成2年)4月、原宿RUIDOを母会場にEPICソニーレコード(現・エピックレコードジャパン)・Fプロジェクトが企画した「ゴルビーズ」が起源。のちにTPDのメンバーの中心となる3人によって構成されたこのグループは、当時のソビエト連邦共産党書記長ミハイル・ゴルバチョフの愛称「ゴルビー」に由来し、ゴルバチョフの進めるペレストロイカにちなんで芸能界に革命的な衝撃をもたらそうと名づけられた。
出典 東京パフォーマンスドール - Wikipedia
あの「篠原涼子」も入っていた!!
ゴルビーズなんて初めて聞きましたが、意外な”下積み時代”といったところなのかな?
【口コミで徐々に人気が高まる】
そして、プロデュースを依頼された中村龍史により、ノンストップで歌とダンスを繰り広げるライブ・「ダンスサミット」を毎週行う7人組集団として「東京パフォーマンスドール」を結成。同時にEPICソニーレコード内に「Cha-DANCE」レーベルが設立され、CDやビデオ、LDなどは基本的にこのレーベルよりリリースされた。ダンスサミットは原宿RUIDOで開催され、6月に第一回公演が行われた。当初は観客が数人でしかもそれはメンバーの家族のみという事もあったが、口コミで徐々に観客を増やし、次第に公演チケットの争奪戦が行われるようになる。
出典 東京パフォーマンスドール - Wikipedia
意外と(?)人気があったんですね!?なんか、あんまり印象にないですが、、、
【”プロのダンス集団”というコンセプトだった?】
当時は「身近な女の子がアイドルに」というコンセプトが一段落した後であり、対照的な職業的集団、「ダンスのプロ」的要素をコンセプトにしたTPDはネオ宝塚の趣も持ち合わせ、初期アルバムの帯には、〝帝都超少女歌劇団〟といったキャッチコピーも見られた。
出典 東京パフォーマンスドール - Wikipedia
そう言われてみると、アイドルっていうよりアーティストっぽいジャケット写真ですね。
【だから、なんかグループとしての印象が薄かったのか?】
初期のころは所属メンバーが流動的であり、CDについてもグループ内ユニットやメンバー単独でのリリースも行われていた。
出典 東京パフォーマンスドール - Wikipedia
愛がすべて
篠原リエ(1990年6月21日)
誘惑のブギー
木原さとみ(1991年1月1日)
恋して女みがいて
市井由理(1991年2月21日)
あこがれMidnight Train
米光美保(1991年7月6日)
NATURAL LOVERS
穴井夕子(1991年9月21日)
GET ON IT
川村知砂(1994年2月2日)
【全体としてのCDセールスは、やはり低調だった】
フロントメンバーは、その多くが積極的にソロ活動も行うなど多彩な活動を展開。CDの売上自体は最高順位がシングル34位、アルバム13位と他のアイドルグループに比べ見劣りするものの、テレビやラジオ等のレギュラー出演などにより1993年(平成5年)ごろから人気が上昇し、1993年8月16日・17日の日本武道館2Days公演、1994年8月7日の横浜アリーナ公演も成功裏に終えた。
出典 東京パフォーマンスドール - Wikipedia
【第1期東京パフォーマンスドールの終焉】
その後、1995年(平成7年)秋までにのフロントメンバーが相次いで卒業。新井雅をリーダーにメンバーを一新するもCDリリースすることはなく、1996年(平成8年)中に活動停止、自然消滅的に解散した。
出典 東京パフォーマンスドール - Wikipedia
【フロントメンバー】
最も代表的なものは、以下の7名による編成である。
出典 東京パフォーマンスドール - Wikipedia
・木原さとみ(リーダー、1995年10月卒業)
・米光美保(1994年9月卒業)
・篠原涼子(1994年9月卒業)
・川村知砂(1995年10月卒業)
・市井由理(1994年9月卒業)
・穴井夕子(1995年4月卒業)
・八木田麻衣(1995年10月卒業)
【研修生】
東京パフォーマンスドールには、前述のフロントメンバー、ライブメンバーの他に「研修生」と呼ばれるレッスン生が在籍していた。
研修生には、その技量を審査するため、オリジナルメンバーの公演にバックダンサーとしてたびたび出演させ、その評価により正式メンバーに昇格、研修生として継続、または見込みがない者として退団のいずれかを判断されるという制度を採っていた。
研修生が日頃の成果をアピールする場として、一部のライブメンバーと研修生のみが出演する「新人公演」を原宿RUIDOで毎年1回から2回程度開催し、オリジナルメンバーの楽曲をレパートリーとしてパフォーマンスを行った。
出典 東京パフォーマンスドール - Wikipedia
【研修生の中には、あの「仲間由紀恵」もいた!?】
・仲間由紀恵
・徳永愛
・嘉門洋子
・笛木優子
・涼花リサ
・平地レイ
・吉川春菜
・メイリー
・田中千鶴
【動画集】
ダイヤモンドは傷つかない-東京パフォーマンスドール - YouTube
東京パフォーマンスドール「RUBY CHASE」 - YouTube
東京パフォーマンスドール復活! レッスン中に初代リーダーが突然の訪問! - YouTube